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Director’s Interview

連続ドラマ「Dr.コトー診療所」宣伝ビジュアル(2003年) 撮影:木村直軌

プロダクションノート

スタッフ・キャストが16年ぶりの“奇跡の再集結”

今回、映画化するにあたって17名もの役者が“コトーのためなら”と再集結した。スタッフもドラマ当時と同じスタッフを集めるというところから始まったが、2006年のシーズンから16年経ち、当時、現場の最前線に立っていたスタッフたちも今や管理職になっていたり、長期間の離島ロケが前提となる本作への招集は一筋縄にはいかなかった。しかし、フジテレビの連ドラの中でも過酷で特殊な現場だったと語り継がれるコトーを映画化するのであれば、当時のことを熟知しているスタッフの参加は必須であり、監督、プロデューサーらが当時のスタッフを口説き、カメラマンや照明技師、美術チームやメイク、音楽や編集といった各部門に連ドラ以来のスタッフもまた奇跡の再集結を果たすことになった。そして5月上旬、各部署のスタッフが初めて一同に会す美術打合せ、通称「美打ち」が湾岸スタジオで行われ、新たなスタッフも加わり、新旧入り交じる映画「Dr.コトー」が本格始動。久しぶりに顔を合わせたスタッフたちには、同窓会のように互いを懐かしむ空気と、これから始まろうとしている怒涛の撮影に挑もうとする気迫が満ちていた。

“絶海の孤島”与那国島での3週間の大規模ロケ

「Dr.コトー」のロケ地と言えば、日本最西端にある与那国島。石垣島からフェリーで4時間かかるこの島でドラマのロケをしていた当時はデータ転送などの技術も十分ではなかったため、放送に間に合わせるためにスタッフが苦労の結晶である撮影素材テープを抱え、海を越えて東京へ持って帰って編集するという、大変な作業を行っていたという。今回の映画の島ロケは3週間。グリーンバックやCGを用いた合成技術、VFXの最前線であるハリウッドではバーチャルプロダクションといった背景投影技術を用いることで、どんな場所でも撮影ができてしまうこの時代に、天候不順のリスクや多くの人々を渡航させるスケジュール管理の苦労、そしてコロナ禍における予測不能のトラブルという不安がある中で“絶海の孤島”での3週間ロケは無謀であるとも言えるかもしれない。しかし「コトー」は“島が主役”の物語と言っても過言ではない作品。この島でなければならないという作り手たちの強い想いで、その場所の光、空気、熱を捉えようとロケの敢行を決断した。結果、間違いなく与那国島でなければ撮れない、自然の美しさと生々しさ、そしてそこに生きている島の人たちの温かさが映像に宿っている。

おかえり、コトー先生!

6月10日、クランクイン初日は、コトーの自転車での訪問診療のシーンから始まる。16年ぶりに見る吉岡の白衣姿は、“コトー先生がずっとこの島に生きていた”とだれもが思えた瞬間だった。しかし、思い通りには進まないのが島ロケ。突然のスコール、分単位で雲が移ろうために、ベストな光を狙うための太陽待ち等、撮影がストップすることもしばしば…。初日からその特殊な気候に振り回わされたが、吉岡が自転車で走っていると、島民からは「あ!コトー先生だ!」と声をかけられる一幕も。そこにはきっと島民からの“おかえりなさい”という意味が込められているようにも感じられ、一同が微笑むのだった。吉岡も「自転車で少し走ってみたら、お母さんと小さいお子さんが「コトー先生!」と呼びかけてくれて…。もう16年も経っているのにこんなに幼い子がそう言ってくれるのがすごく嬉しかったです。ずっとこの島ではコトー先生はコトー先生なんだと思うと、とても嬉しかったですし、頑張らなくちゃいけないと思いました。」と語る。ドラマから映画までの空白の16年間もコトーはずっと島民から愛され続けていて、島にとっても唯一無二の存在なのであった。

16年前と変わらない!? レギュラーキャストたち

コトーにとってかけがえのない“家族”である島民を演じるレギュラーキャストたち。16年ぶりに演じるとは全く感じさせない、ずっとそこで生きてきた姿があった。
星野彩佳あらため五島彩佳を演じる柴咲の初日はコトーとの結婚式のスチール撮影から始まる。灼熱の太陽の下、琉装をまとっていた吉岡と柴咲だったが、久しぶりに揃った2人の姿、当時からの時の経過を感じさせる結婚式というシチュエーションにスタッフたちは感慨深げに臨んでいた。柴咲は「16年間の平凡な暮らしがどこかに感じられたらいいなと思いながら撮影に臨んだのですが、吉岡さんの姿を見たら、自然体でコトー先生の空気をまとっていて、そんな吉岡さんの前にいると、自然と自分も彩佳になることができました。」と話している。
原剛利役の時任はドラマ撮影時、漁師役なのに「自分が一番船に弱かった」というエピソードを明かしていたが、16年経っても剛宝丸に乗っている佇まいは、まさしく勇ましい原剛利であり、あの頃と変わらない。
茉莉子を演じる大塚の撮影は、診療所での彩佳との掛け合いのシーンから始まった。柴咲と阿吽の呼吸で芝居を始め「診療所もそのままで、なんだかずっと島で生活してたような不思議な気持ちでした。」と語った。
また、漁港での撮影では、漁師たちが作業を終えてお酒を飲みながら楽しく“いつも通り”に過ごしているというシーンから始まる。元木役の山西と山下役の船木もみんな変わらず漁港で働いている。元漁労長でいまだに“島のご意見番”である安藤重雄を演じる泉谷は「みんなもっと老けていると思ったが、いやいやぜんぜ~ん変わっていなかったから驚いたねー!」と話す。
朝加は、自身が演じる半身麻痺の後遺症を抱える昌代が、片手で星野家の庭で洗濯物を小林演じる正一に渡すシーンを、リハビリ指導の高井先生とリモートで繋ぎ、細かい動きを確認しながら演じていた。
原剛洋(タケヒロ)を演じる富岡の初日では、原家の家の前のシーンから始まる。スタッフから「タケヒロおかえりー!」と歓声が上がっていた。久しぶりの演技に緊張していたという富岡は「島で吉岡さんや監督と話しながら過ごすうちに、だんだん昔、タケヒロがドラマの中で体験していたことを鮮明に思い出して気持ちがどんどん強まったので、自分の中にまだタケヒロが残っているんだなと感じました。」と語る。
そして、和田を演じる筧は「私は変わりました。みんな変わりました。だって16年経ってるんですもの。でも衣装着て診療所に行ったら...みんな同じになっちゃうんですよ(笑)」コトー先生の電動自転車にバッテリーを付けるシーンでは「ちょっとこれ難しいんだよね」とアドリブをいれながらも、16年前と同じように「いってらっしゃーい!」と往診へ向かうコトー先生を見送っていた。

世代を超えた「Dr.コトー診療所」の出発点

今回の映画化にあたり、新たなメンバーが診療所に加わった。
志木那島にへき地医療の勉強に来た新米医師・織田判斗役の髙橋海人、そして数年前から島の看護師を務める島出身の西野那美役の生田絵梨花である。ドラマ当時はまだ幼かった2人だが、「Dr.コトー診療所」の出演が決まったことについて、髙橋は「ドラマ放送時は当時4歳だった。再放送で見ていて、すごい名作というのはわかっていたし、あの世界感の中に入れるのかと思うと気持ちはとても上がっていました。」と語る。
また、吉岡は「(髙橋くんは)本当に優しい、なんていい子なんだろうって。本当にお芝居に対する、判斗先生の役を掴もうと必死で…。でも判斗先生も『なんでもいってください』って言っていて、それはボクも一緒で、コトー先生を16年ぶりにやることだし、前と違うわけで、同じ芝居をするわけではないから、同じように成長したいねということは思っていました。」と話している。
そして、生田は「今まで皆さんが育んできた世界の中に馴染めるか不安でしたが、温かく仲間として迎えてくださり、皆さんとお話できている時間がとても感慨深く、今回出演させていただいていることが奇跡のように感じていました。」とコメントしていたが、柴咲からは「この島にはこの子(那美)がいたら、大丈夫そうだな、みたいな安心感があり、そんな若手の子たちが育っていく様子に、こうして少しずつ人が未来を繋いでいって島が存在していくんだなという気配を彩佳としても感じました。」と信頼を寄せていた。
世代を超えた新たな融合がスクリーンにどう映し出されているのか。
2人の活躍も必見である。

波乱万丈なスタジオ撮影

約2カ月におよぶスタジオ撮影期間には、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で撮影スケジュールが大きく乱れる事態が次々に起こる。必然的に、撮影の終盤に向けて一日に撮り終えなければならない分量が増えていく中で、撮影規模としても大きく、精神的・肉体的にも負担の大きいクライマックスに向けたシーンの撮影は、終了予定時刻を大きく超える日が続いた。全員が一切妥協せずに挑んだ一連のシーンは、朝方まで撮影したことも。しかし、休憩時間には疲労をにじませるキャストたちも、ひとたびカメラが回ると渾身の演技を見せ、そこには“絶対に良い作品にする”という思いがあふれていた。スタッフ、キャストが一丸となって“絶対に最後まで撮りきる”という結束力が日に日に増していく。そして、ついに8月に撮了を迎えることができたのだった。
ドラマの時の過酷な撮影現場を経験している泉谷は「こんなもんじゃないよ、ドラマの時の方がもっと長かったよ~」と笑いながら話していたことに、新参のスタッフたちは驚かされるばかりだった。